2020 Aout   Praha Brno

 

 

 
 
シャルル・ド・ゴール空港から1時間20分、ヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港に到着。大雨のため機体が滑走路を移動できず機内で1時間近くも待つことに。今回借りた車はシュコダ、チェコがまだオーストリア=ハンガリー帝国領時代からチェコスロバキア共和国成立後、1993年のビロード離婚と言われるチェコとスロバキアの分離後も一貫して「チェコの車」と言えばシュコダ、雨の中一路プラハ市内へ。

 

 

 
 
 
本来の目的地、ブルノ―の街はオーストリアのウィーンから1時間ほど。プラハからは3時間もかかるけれど邦人である私達がそもそもフランスからオーストリアに入国できるのか?各方面に問い合わせてもその答えはまちまち。同じチェコ内の移動なら問題なかろうとひとまずプラハへ。奇しくも私のバースデーイヴという事で遅い到着にもかかわらず素敵なディナーになる。チェコのコロナ事情は興味深く、その物静かで冷静な国民性が功を奏したようでマスクをしている人は殆ど居ない。

 

 

 
 
 
 
コロナウィルスに世界中が翻弄された今年、まさか誕生日を非常事態のヨーロッパ、それもプラハで迎えることになろうとは・・・。 友人夫妻の温かなホスピタリティーに感謝しつつ「私たちの部屋」で爽やかな朝を過ごす。窓を開けるとラヴェンダーの香り、チェコの典型的なデニッシュを朝食に。

 

 

 
 
 
深夜の到着で早朝には出発、数時間の滞在でも旧交をしっかり温め素晴らしい誕生日となったプラハを後に一路ブルノ―へ。 チェコ語の表記は同じアルファベットでもラテンの国の言葉とは根本的に違う読み方、高速の表記も分かるけれど発音できない。中欧らしい景色の中をひたすら走る。

 

 

 
 
プラハから2時間半、ブルノ近郊に位置する街、フルショバニに立ち寄る。市長自らご案内頂く廃墟のような建物、モード雑誌に出て来そうなシュールな空間が広がる。 私達のためにマスクを着けて下さるプレスの方々のお心遣いに感謝。

 

 

 
 
主人の展覧会の担当者とランチをご一緒する。海がないチェコではメインは殆どお肉料理、さすがビール大国だけあってノンアルコールのビールのバリエーションが豊富で嬉しい。 中欧らしい素朴なレンガのインテリアがどこまでも続くビアホールのようなレストラン。

 

 

 
 
 
ブルノの小高い丘に建つスティアッスニ邸に到着、広大な敷地に建つボヘミアの揺るぎない富を感じさせる歴史的建造物に泊まる。ようやく頂いた花束を飾りプレゼントをほどく。

 

 

   
 
 
ドイツのモダニズム建築家、ミース・ファン・デル・ローエの代表作である「トゥーゲントハット邸」は2001年に世界遺産に登録された有名な建築。1992年にはチェコとスロバキアが分離独立を決めた 「ビロード離婚」の調印式が行われた歴史的建物でもある。私は3回目の訪問だけれど最初に訪れたのはまだチェコスロバキアの時代、父とウィーンから汽車に乗って国境を越えブルノの駅で降りた懐かしい思い出が蘇る。

 

 

 
 
 
コロナウィルスのパンデミックが続く中、プラハからブルノ、チェコの歴史的場所で迎えた誕生日。頂いた花束のひまわりのように明るい日々が戻って来ることを願わずには居られない。

 

 

 
 
チェコ東部、モラヴィア地方の中心であるブルノの街が見渡せる丘に建つ「Villa Stiassni」は栄華を誇ったボヘミア貴族の生活が偲ばれる広大な館。端正な外観からは想像もつかない濃厚なインテリアに驚く。 主人の展覧会を見にいらしたウィーンのチェコセンターのディレクターとご一緒する。

 

 

 
 
新型コロナウィルスの感染拡大のロックダウンで3か月遅れて始まった主人の展覧会、オープニングの基調講演もZOOMで開催とオンラインでしか見たことが無かった会場にようやく到着。 チェコの人達の器用さと勤勉さが感じられる丁寧な会場設営に感動する。

 

 

 
 
主人の仕事の打ち合わせも全てつつがなく終了、一路プラハへ。相変わらずチェコ語の標識は難しくアルファベットの上に付いている不思議な記号が発音のキーとか。 フランスやイタリアとは少し違う、中欧らしい光景の中をひた走る。

 

 

 
 
3時間ほど走りプラハに到着、久しぶりに旧市街広場を歩く。中世からの歴史的建造物が残り街全体が世界遺産に登録されるほど、パステルカラーの街並みに高い塔が並ぶ旧市街はおとぎの国に迷い込んだよう。

 

 

 
 
15世紀に建てられたゴシック様式の旧市庁舎にある有名な天文時計、毎時ちょうどにからくり時計が動き出す。太陽と月と星を組み合わせた複雑な天文時計はローマ数字で現地の時間を、ドイツ数字で古チェコ時間を示し、 文字盤部分にはその時間の空の様子を表すという。いつもは大変な人だかりで見えないからくり時計も今日はゆっくり堪能、コロナの影響で観光客が少ない事を改めて知る。

 

 

 
 
いつになく澄んだ青い空をバックにマカロンのような可愛らしい街並みが続く。初めてプラハに来たのは2007年、今ではすっかりルーティンで訪れる街になったけれどいつ来ても本当に素敵。 思い出のレストランも変わらず、迷路のような旧市街を歩く。

 

 

 
 
 
プラハ以外ではまず見ることが出来ないという「キュビズム様式」の建物、「黒い聖母マリアの家」は1911年にヨゼフ・ゴチャールによって建てられたもの。今はキュビズム・カフェとして観光客にも人気のスポット。

 

 

 
 
 
天井から下がるライトやコートをかけるフックなど細部に至るまでこだわりのインテリアはまるでミュージアムのよう。冷えたノンアルコールビールでようやく一息、午後の日差しが美しく差し込むサロンでオマケのプラハを堪能する。

 

 

 
 
trip index もはや目が慣れて来た「誰も居ない空港」・・・、プラハの出発ロビーも相変わらず水を打ったように静か。邦人である私たちがフランス行きの飛行機に搭乗する、と言う普段であれば何でもないことが今では大問題。 フェースシールドとマスクで完全防備のエールフランスのスタッフに幾つもの質問をされる。フランスの滞在許可書と日本への帰国便の予約画面を見せてようやくパス。滑走路にも駐機場にも飛行機の姿が無い不思議な空港、 暮れて行く空にPRAHAの文字が美しい。 page top

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